お早うございます。今日の聖書の箇所のお話の舞台はエルサレム、イエス様が十字架に架かる数日前の出来事です。今日の箇所の前のところを読みますと、祭祀長や律法学者や長老達、ファリサイ派やヘロデ派やサドカイ派など、イエス様を殺そうとしている人たちが代わるがわる論争を仕掛けてきます。しかしイエス様はどのような無理難題を吹きかけられてもきちんとお答えになりました。その様子を感心してみていた一人の律法学者がおりました。この人は他の律法学者と違ってイエス様のことを正しい方であることを認めて次のように尋ねます。
あらゆる掟のうちでどれが第一でしょうか? 「掟」は戒め・律法と同じ意味です。イスラエルの人達は旧約聖書の時代から神様から与えられた戒め・律法を大切にしてきました。律法学者はその掟・律法を研究し、人々に教える学者でした。その律法学者が、“どの律法が一番大切なのか”、と尋ねたのです。イエス様は答えます。第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟はこれである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。
律法学者が、“一番の律法は?”と尋ねたのに対し、イエス様は二つの律法について答えております。それはこの二つの律法が二つで一つであり、切っても切れない関係にあると考えられたからです。第一の律法は申命記6章4節,5節、第二の律法はレビ記19章18節です。
申命記6章4節,5節では、まず“イスラエルの神様が唯一の神様である”とします。そしてその神様を“心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、愛しなさい。”と言っているのです。実は、この律法はその当時のイスラエルの人々が、毎朝毎晩唱えていた信仰告白です。
一方、レビ記19章18節は“隣人を自分のように愛しなさい”と言っています。「隣人」というのは先ほどの讃美歌(421)では「となりびと」と言っていましたが、日本語では「となりびと」でもいいのですけれども、もしかしたら隣人を愛することは神様を愛することに比べると軽く見られていたかもしれません。しかしイエス様にとっては、神様を愛することと隣人・となりびとを愛することは切っても切れない一つのことであり、そのことがほかのどんな律法にもまさると考えられたのです。それを聞いた律法学者もイエス様に共感し次のように答えます。先生おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くし、神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。
この言葉はほとんどイエス様の言葉の繰り返しですが、ポイントは神さまを愛し隣人を愛することが、その当時のイスラエルの人々が重要視していた神殿における神様への献げ物よりも大切である、と断言したことです。
最後にイエス様はこの律法学者に対して、“あなたは神の国に遠くない”と言い、その後、“もはやイエス様に質問してくる者は誰もいなかった”と締めくくられています。
そもそも「愛」は神さまから始まっています。神様が私たち一人一人を愛してくださるから、私たちはその応答として神様を愛します。また、神様は私たちの隣人、私達のとなりびとも愛されます。神様に愛されている私たちととなりびとが神様によって同和されて、そこでお互いに愛することができるようになります。ここに大きな愛のつながりを見ることができます。
一方で、神様を知らない人たちもまた自分を愛し、隣人を愛して生活をしています。人間にとって、世界にとって愛することは基本であり、愛なきところには憎しみが生まれ、隣人を傷つけ、ついには戦争さえ起こってしまいます。人間同士の愛はとかく不安定であり歪んでしまうこともあり、それを正すのが神様の愛です。
私たちは神さまに愛され、神様を愛することによって本当にとなりびとを、隣人を愛することができるようになるのです。そして神様を愛するとは神様を信じ、神様に従っていくことです。
今日の箇所で神様への愛と、隣人への愛を語られたイエス様ご自身が、心を尽くし、知恵を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして神様を愛された方であり、どんなことがあっても神様を信じ、神様に徹底的に従われた方でした。また同時に隣人を心から愛し、敵となってしまった者さえ愛された方でした。その結果、イエス様が選ばれた道が、すべての隣人の罪のために十字架に架かるということでした。本当は神さまを愛することができない、隣人を愛することができない罪深い私たちが、愛の道へと引き戻してくださったのはイエス様の十字架です。そして神様、イエス様を信じ従う私たちは、自然と隣人への愛へと向かわされていくのです。
今、“心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、神様を愛しなさい。自分を愛するように隣人を愛しなさい”、とイエス様から教えられた私たちは、このイエス様の呼びかけに応え、神様とイエス様の愛の道を共に歩んでいきましょう。お祈りいたします。
イエス・キリストの父なる神様、今日もまた、この教会に集められ、共に礼拝を守り、御言葉に聴くことができましたことを感謝いたします。神様、イエス様の大きな愛に応えて私たちが心を尽くし、知恵を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして神様を愛することができますように、また自分を愛するように隣人を愛することができますように、どうかお導きください。
この世界に神様の愛と平和があふれ、争いや戦争がなくなりますように。このお祈りをイエス様の聖名を通してお献げいたします。アーメン。
(2018年8月26日礼拝説教)
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