信濃町教会        
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  信濃町教会の歴史  
     
 

 本教会は、1924年(大正13年)6月1日、東京市大久保百人町(現在の東京都新宿区百人町)で、25人の信徒が最初の礼拝を捧げて誕生した。ここは創立者高倉徳太郎(牧師)の自宅でもあった。高倉徳太郎は、礼拝で精魂を傾けて聖書の言葉を説いたので、多くの青年が集まり、感銘を受け、ここから多くの伝道者が輩出した。

 1925年に高倉は東京神学社神学校(東京神学大学の前身の一つ)の校長の要職に就くと共に、多くの著述をなし、特に1927年に書いた『福音的基督教』は今も読み継がれる名著である。同時に高倉は伝道にも打ち込み、教会建設の機運も高まった。その後、別 の教会から多数の会員を迎えたため会員数が一挙に増え、麹町の家政学院講堂などで礼拝を捧げることになった。その間、土地を現在地の信濃町に求め、1930年9月新会堂を建設、それまでの戸山教会を信濃町教会と改称、現在にいたっている。

 1934年、高倉牧師が急逝し、福田正俊が後を継いだ。時代はやがて日中戦争から太平洋戦争へと進み、教会は厳しい試練の中に置かれた。1941年にはキリスト教の諸教派が合同して日本基督教団が生まれ、信濃町教会もこれに属することになった。福田牧師は戦争の問題に苦しみ、説教者としての責任を覚えて1945年の末に辞任した。

 1946年に山谷省吾が主任牧師に就任、戦争で荒廃した教会の再建に努めた。同牧師は1951年、口語訳聖書の翻訳事業に専念するため辞任した。

 
 

旧会堂の写真1
信濃町教会 旧会堂(撮影:堀内広治 )

旧会堂の写真2
信濃町教会 旧会堂/礼拝堂(撮影:堀内広治 )
 
旧会堂の写真3
信濃町教会 旧会堂/外階段(撮影:堀内広治 )

 

 1952年、再度福田正俊が主任牧師に就任した。教会は東京で福音に最も恵まれない地域に開拓伝道を行うことになり、板橋区に伝道所(現在、板橋大山教会)を設けた。また本教会自身の伝道も大いに進展した。

 1973年 福田牧師は辞任、池田伯が後任牧師に就任した。教会はこの社会に対する責任を覚え、言葉と行為において告白し、世の苦しみと深く連帯しつつ福音を宣べ伝えることを決意した。

 1991年 池田牧師は辞任、佐藤司郎が後任牧師に就任した。1994年阪神淡路大震災を機に、老朽化した教会堂を取り壊し、大地震に耐えうる会堂を再建することになった。
 1997年本教会は『われらの志』を発表し、教会の福音理解と社会に向けての姿勢を明らかにした。

 1998年 佐藤牧師は辞任、南 吉衛が後任に就任した。2001年「宣教ビジョン」と「建築ビジョン」を発表、2003年5月旧会堂を取り壊し、同7月着工した新会堂は2004年9月に竣工、ここに待望の新会堂が与えられた。

 2007年3月、南牧師は辞任、池田 伯牧師が代務者として就任した。

 2008年4月、笠原 義久牧師が就任した。

 2022年4月、佃 雅之牧師が就任した。

 現在本教会は、聖書の言葉を重んじ、苦悩する世界と連帯し、「イエスは主なり」と告白する、由緒あるプロテスタント教会として、21世紀を力強く生きたいと願っている。(現在の会員数は約370名になる)日本基督教団に所属し、日本キリスト教協議会、在日大韓キリスト教会、世界教会協議会に連なっている。



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