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 2015年7月19日 礼拝説教  【弱い時ほど強い】 林原 泰樹

イザヤ書40章28~31節  コリントの信徒への手紙Ⅱ12章1~12節

聖書には逆説的なことが書かれています。たとえば「貧しい人々は幸いである」(ルカによる福音書6章20節)等の教えがあります。また、極悪人のための処刑法であった十字架刑に処されたイエスが主であり神の子であり、全世界のための救世主であるという教えも、その最たるものと言えます。私たちはそのような教えに、困惑を覚えるものです。しかしながら、そこに主が働いてくださり、少しずつその逆説的なメッセージを理解出来るようにされます。従って、もし、受けとめることが出来ないメッセージが受けとめられるようにされていくとするなら、それは聖霊の御業の中に私たちが置かれている、ということです。聖書の逆説的な教えは聖霊が理解させてくださるように導かれるのです。

さて、本日の新約聖書の箇所にも、その逆説的、パラドクシカルな教えの一つが書かれています。それは「弱い時こそ強い」です。パウロはどのような経過を経て「弱い時こそ強い」という認識に導かれたのでしょうか。彼は神からの力で、何回か、ねじ伏せられて弱くされ、そこからその「弱い時こそ強い」との認識に導かれたのでした。

元々パウロはユダヤ人の中でエリートであり、厳格な宗教者として立派に歩み、言わば勝ち組として若い時から生きて来たのでした。そしてその生き方に自信がありましたから、ユダヤ教から見て疑問に思ったキリスト教会のことも、迫害していたのでした。ところが突然、復活のイエスに出会って、彼は打たれ、動けなくされました。そして彼はその時から、キリストの弟子という、ユダヤ人としてはマイナー路線に、生き方を転じることになりました。

その時から彼は既に弱くされ、「弱い時こそ強い」と言うことを、神から教えられ始めていた、と言えるかも知れません。しかし、一足飛びには、彼はその奥義に達するに至りませんでした。というのは、今申しましたように彼はキリストに打たれ、劇的な神との出会いを体験しましたが、その体験はキリスト者としては、自身を弱くされると言うよりは神々しい宗教体験であったのです。言わば高みに昇るような経験だったのです。今日の箇所コリントの信徒への手紙Ⅱ12章9節で、その時のことを彼は書いています。それは、生きながらにして天の世界を、その奥の奥まで行って見て、帰ってくるというような体験であったということです。当然素晴らしい恵みの体験だったのでしょうが、その結果、彼は宗教者として、高慢にも成り得たのでした。

それゆえに、彼が驕り高ぶらないように、神から一つの肉体的棘が与えられた、というのです。その肉体的棘とは、目の病気か、あるいはマラリアであったということが言われています。彼はその病のために相当悩まされ、三度も真剣に神に癒しを求めました。彼は恐らくこう祈ったのでしょう。「私は健康になったら、もっと神さまのために働けます。伝道旅行の回数も増やせます。教会ももっと沢山立てることが出来ます。」ところがその祈りを何カ月、何年祈ったか分りませんが、結局彼は癒されることはありませんでした。その代わりに神から示されたことは、「あなたの恵みは既に今のその状態で充分である、」ということでした。「あなたはその苦しみで弱くなっているように思っているが、そうではなく、むしろ、その時にこそ強くされているのだ」と、そういう示しでありました。

病の時は肉体的に弱るだけでなく、精神的にも非常に弱ってしまいます。でもそういう時こそ、人は自分の力を頼らず、神のみに頼る生き方が出来るようになり、最も私たちの内に、神の御力が強く漲る(みなぎる)ようになる。従ってその人は却って強く生きられるようになる、ということです。そういうことをパウロは今や、信仰的真理としてしっかりと捉える者とされたので、今日の箇所で告白しているのであります。

実際には、彼が「弱い時こそ強い」ということが分かるようになるまでには、さらに他にも苦い経験を積んだものと思われます。第一回目の伝道旅行の際、まだ彼は自分の力を頼りに強く生きていたのでした。ですがその後、アテネ伝道の時です。パウロは哲学者相手に自分のありったけの知恵と力を用いて伝道したものの、惨憺たる結果で、全く自信を失い弱ってしまいました。その結果彼は、次のコリント伝道では己が知恵や力、説得力を一切使わないで、神により頼む伝道をしたのでした。正に「弱い時こそ強い」に徹する伝道に転換したのでした。その一連の経験は、コリントの信徒への手紙Ⅰ 2章3節で語られています。パウロはそういった経験をも経て、今日の箇所で、「弱い時こそ強い」ということを言うに至ったと、そう考えられるのであります。

以来、彼は「弱さを誇る」ようになりました。最早自分の「弱さ」を隠すことなく「これは私の弱さです」と言えるようになりました。そうすると自分自身で随分楽になったと思います。また同じく、色々な気付きも、併せて与えられたことと思います。自分が強い者として生きてきた過去を思い返し、そこにあった傲慢さや愚かさを後で気付かされるようになったことでしょう。そこで益々、自分を頼ることに注意をする人生になっていったことと思います。

そういうわけですから、今朝、私たちは「弱い時こそ強い」との御言葉を、そのまま「アーメン」と言って受けとめることが出来る者とならせていただきたいと思います。誰でも肉体の棘を持ちます。肉体の棘というのは比喩的な表現ですけれども、老い、病い・死・貧しさ・天災・逆境等々、「私にこれが無ければよかったのに」と、私たちを弱くするような種は沢山あります。歳をとればとるほど、増えて行きます。でも信仰者はそこに違う見方を見出すのであります。肉体の棘の中にむしろ神の恵みがあるのです。私たちは、ただそれを発見する者とならせていただきたいと思います。



高倉徳太郎は、説教の中でこういうことを言っています。「信仰者の中にも、恩恵に満ちた顔の人は稀だ」「そういう人は天上の人に非ず、地上の人なり」。

「私にあれが無い、これが無い」と不平不満を抱いているのでは、地上の人と変わらない。そうではなく、もっと神の恩恵を感謝しよう、と高倉はそのような説教をしていますが、この言葉に心から同意を致したいと思います。肉体の棘の中に、むしろ神の恵みがあるということを発見して、不平不満から解放されて歩むようにされるのです。そして「弱い時ほど強い」ということを、本当に身をもって体験する人生に導かれるのであります。

ですから私たちは、肉体の棘から解放されて、己が力に於いて強くなることを求めるべきではないのです。逆に言うと、自分の能力や体力、知力、気力に溢れるばかりの自信を以って生きるならば、その時私たちは、強くない、主の力は私たちの内で働かなくされてしまうのです。私どもの能力、体力、知力、気力により頼んで生きることをなるべく早く放棄することであります。それが、神を頼って力強く歩む生活のスタートとなるのです。今はまだそうでないと思われるならば、その時がなるべく早く来ることを望みたいと思います。



何故、そのように、己が力を放棄する時に強くされると言えるのか。パウロは別のところでこういうことも言っています。ローマの信徒への手紙8章26節から28節、そこにはこうあります。「御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる」。

私たちが様々な試練、逆境で心身ともに弱くされ、自分が弱いということを自覚するならば、それを待っていたかのようにして助けに来てくださる、そういう聖霊の助けというものが登場して来るということが言われているのです。その「聖霊」というお方の登場のスイッチは我々の弱さの自覚であります。弱さの自覚なくして、その聖霊の助けは来ませんし、その弱さの自覚の後には必ず聖霊の助けがある、ということなのです。でありますからこの「弱い時こそ強い」という今日の話に関して、最もよく説明し、そのからくりを説明しているのがこのローマの信徒への手紙8章26節から28節の御言葉だと言えると思います。弱さの自覚を持つ時、聖霊の助けのスイッチが入る。だから私たちは、弱い時こそ強くされるし、その逆もまた然りなのであります。そういうことがこの箇所を併せて読むことによって分ります。

神が人間を救う時には、必ず一端、私たちが弱さの自覚に陥るという瞬間が計画されています。私たちは一度、とにかく、弱さの所に、己の力の弱さという所に陥らなければならない。そして一度自分の力、自分の限界に達し、挫折し、自力で生きることを断念しなければならない。その後に、聖霊の助けが来て、本当の人生が始まるのです。

私たちは疲れて、全てを投げ出してしまいたいという思いに駆られる時もあるかもしれません。でも、そんな時、私たちは自力で立ち上がるのではない。私ではない絶対他者なる聖霊が我が内に活きていることを知り、その方にバトンタッチすることであります。そしてその主に全てを委ねた時に、御力が最大限に充満して働くようになるのです。どうかこれから私たちはそこに立ち、そして立ち続けることが出来るように、そのことを本当に日々体験させられる者となれるよう導かれたいと、そう願いつつ祈りましょう。お祈りします。

 (2015年7月19日礼拝説教)

 
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