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◇久保島泰からのショートメッセージ

~2011年11月20日 秋の特別伝道礼拝のために~

 

《メッセージ:祈るということ》

▼祈ることができない。祈る言葉が出てこない。祈っても空しいだけのように思われる。そもそも、祈りたいという気持ちすら起きてこない。信仰者の人生の歩みの中でそういう思いにとらわれるということがあります。自分の魂の袋小路にはまり込んでしまって、どこにも出口が見つからないのです。際限もなくただ苦しむしかないのです。それは神様の御心を求める人たちにとって大きな危機です。

▼もともと祈りの意味など認めない人たちならば、祈れないことで悩みはしないでしょう。そうして、ただ耐えて、時の流れがその苦しみ悲しみを忘却の彼方に運び去ってしまうのを待つだけのことでしょう。神様の御心を求める人たちだけが、祈れないことで苦しみます。本当は祈りたいからです。祈って、神様にすべてをおゆだねしたいのです。

▼けれども、そのためにどのように祈ったらよいかわからないのです。自分の祈りの言葉などまったく信用することができません。誰かにこのようにお祈りしたらとアドバイスされたところで、しょせんそれも人の言葉にすぎないと思われます。そうしてあまりの苦しみ悲しみですっかり取り乱してしまって、そもそも自分が何を求めているのかすらわからなくなるのです。まったくの自信喪失状態です。

▼「主の祈り」は、主イエスがわたしたちに教えてくださった祈りです。教えていただくしかない、主イエスから学ぶ以外には得られない祈りです。わたしたち人間が、どんなに頑張っても真実な祈りをささげることができない、そういう絶望状態にあることを十分に知ってくださった上で教えてくださった祈りです。自分自身では祈りの言葉を生み出すことができない人間に代わって、神様ご自身が人間になってくださっただけでなく、神様ご自身がわたしたち人間の言葉を用いて祈ってくださった祈りです。それはたとえば、親が幼い子どものために、その子にわかるような言葉で教えるようなことでしょう。

▼言い換えれば、主の祈りは、人間が、神様の言葉によって祈ることを許してくださった祈りだということでもあります。わたしたちが自分の言葉で祈るならばそれは虚空に響くだけの空しい言葉になりかねません。けれども、主の祈りは、神様ご自身の言葉なのですから、わたしたちがその神様の言葉で祈ることは、決して空しいことにはならず、神様に受け止めていただけるのです。

▼そして、さらに大切なことがあります。「主の祈り」は、主イエスがわたしたちに、「わたしと一緒にこう祈りなさい」とお命じになっている祈りです。わたしたちの今このときの魂の状態で、祈ったり祈らなかったりしてよい祈りではないのです。「主の祈り」は祈りについて絶望状態になっているわたしたちの魂の外からやってきて、さあ、このように祈ろう、わたしと一緒に祈ろう、と強くお命じになる祈りです。わたしたちの魂の状態がどうであろうと、いいえ、わたしたちの魂は放っておけば祈ることができないままにぐずぐずしてしまうのですが、イエス様はわたしたちの魂の扉をどんどんと叩き、こじ開けて、「さあ立ちなさい、わたしと一緒に祈るのです」とお命じになるのです。

▼そうして、わたしたちは変えられます。祈ることのできない者ではなく、祈ることができる者へと変えられます。主イエス・キリストを通じて、神様と真実の対話をすることのできる者へと変えられるのです。

久保島泰:日本基督教団伊豆八幡野教会主任牧師


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