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《メッセージ:祈るということ》 ▼祈ることができない。祈る言葉が出てこない。祈っても空しいだけのように思われる。そもそも、祈りたいという気持ちすら起きてこない。信仰者の人生の歩みの中でそういう思いにとらわれるということがあります。自分の魂の袋小路にはまり込んでしまって、どこにも出口が見つからないのです。際限もなくただ苦しむしかないのです。それは神様の御心を求める人たちにとって大きな危機です。 ▼もともと祈りの意味など認めない人たちならば、祈れないことで悩みはしないでしょう。そうして、ただ耐えて、時の流れがその苦しみ悲しみを忘却の彼方に運び去ってしまうのを待つだけのことでしょう。神様の御心を求める人たちだけが、祈れないことで苦しみます。本当は祈りたいからです。祈って、神様にすべてをおゆだねしたいのです。 ▼けれども、そのためにどのように祈ったらよいかわからないのです。自分の祈りの言葉などまったく信用することができません。誰かにこのようにお祈りしたらとアドバイスされたところで、しょせんそれも人の言葉にすぎないと思われます。そうしてあまりの苦しみ悲しみですっかり取り乱してしまって、そもそも自分が何を求めているのかすらわからなくなるのです。まったくの自信喪失状態です。 ▼「主の祈り」は、主イエスがわたしたちに教えてくださった祈りです。教えていただくしかない、主イエスから学ぶ以外には得られない祈りです。わたしたち人間が、どんなに頑張っても真実な祈りをささげることができない、そういう絶望状態にあることを十分に知ってくださった上で教えてくださった祈りです。自分自身では祈りの言葉を生み出すことができない人間に代わって、神様ご自身が人間になってくださっただけでなく、神様ご自身がわたしたち人間の言葉を用いて祈ってくださった祈りです。それはたとえば、親が幼い子どものために、その子にわかるような言葉で教えるようなことでしょう。 |
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