信濃町教会        
トップページ リンク アクセス
われらの志 信濃町教会の歴史 礼拝 牧師紹介 集会 教会Q&A  
説教集 用語解説 教会学校 会堂について スケジュール

  ショートメッセージ  
   
 
 
◆西岡牧師からのショートメッセージ
 

西岡裕芳(にしおか ひろよし) 牧師

1966年6月 高知県に生まれる。
仙台での学生時代、宮田学生聖書研究会に参加、キリスト教と出会う。
1990年12月 受洗。
大学卒業後、就職・上京。 2年半後退職し、同志社大学大学院神学研究科にて学ぶ。
1997年4月 愛媛県の松山教会伝道師に就任。
2001年4月 北海道の月寒教会牧師に就任。
家族は妻恵子と二人の息子 新(しん 5歳)、弓(きゅう 2歳)

 学校を卒業して間もなく、東京で会社員として働いていたことがあります。学生時代の終わり近く聖書と出会いキリスト者となった私が、大都会東京で寄る辺なき身を寄せたのは信濃町教会でした。日曜日ごとに礼拝を通 して与えられる御言葉の糧に養われ、信仰の仲間との交わりに支えられて、どうにか日々を過ごすことができたことを、有り難くも懐かしく思い起こします。
  街には、色とりどりの光があふれかえっています。しかし、街が光であふれればあふれるほど、わたしたちの心の闇は深まりゆくばかりであるように思います。そのような中にあって、教会は人生の道しるべとなる光をかかげているところです。
  教会のかかげる光は、決して大きく輝かしい光ではありません。小さくかすかな、ともしびのような光です。それは、「わたしは世の光である。」(ヨハネによる福音書8章12節)と言われるイエスが与えてくださった光だからです。イエスは、病に伏し、差別 され、悩み、痛み、苦しむ人々と共に歩みました。その行き着く先には、自らに苦しみを背負って死ぬ ところの十字架がありました。世の輝かしいものに目を奪われるならば、このイエスの歩みに光を見い出すことはできないでしょう。けれども、道に行き悩むものにとっては、イエスの存在そのものが希望の光であるのです。このイエスの光を教会は放ち続けています。
  イエスはまた「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイによる福音書11章28節)と語りました。どうぞ教会においでください。皆さんとお会いできることを楽しみにしています。
 
<--ショートメッセージのインデックスに戻る
 
Copyright (C) 2005 Shinanomachi Church. All Rights Reserved.