《説教題:君が望むなら》
《聖書箇所:イザヤ書41章8~13節/マルコによる1章40~45節》
ショートメッセージ
▼10代の頃、私はちっぽけな不良少女でした。 親や学校や社会、おとなたちがみんな「うそ」の塊のように見え、 その欺瞞にからめとられたくないと必死に抵抗していました。 でも、どうしたらよいのかわからず、学校をさぼったり おかしな服装をしたり(ここには書けないようなことも!)しながら、 なぜか教会にかよっていました。 教会のおとなたちは少しも清らかには見えませんでしたし、 とりたてて楽しいところでもありませんでした。 でも、ここには「ほんとう」がある。 私はそれを感じて教会にかよい続けたのです。 イエスという方が私にかかわってくれているらしい、 そして私を自由にしてくれるらしい。 なんだかわからないけれど、信じていこうかな。
▼そうやって歩いてきて、40年近くたちました。 40年の間には谷あり崖ありいろいろなことがありましたが、 谷間を歩くときもこのイエスという方は伴ってくれました。 イエスという方に出会ってよかった。 私は今、そう思っています。 この方と出会うと人生が変わるのです。 うそのようですが、ほんとうです。
▼このイエスという方のことをお話させていただきます。
《友野富美子(とものふみこ)》 日本基督教団 吉祥寺教会牧師
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