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2007年4月22日 礼拝説教 【見えないものに目を注ぐ】 福田 啓三
エレミヤ書 15章17-21節 / コリントの信徒への手紙Ⅱ 4章7-18節
 
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  使徒パウロは、その使徒の歩みがどんなに苦難の多いものであるかをコリントの信徒への手紙Ⅱで随所に記しています。1章では、アジア州で受けた苦難として、「わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまい、死の宣告を受けた思いであった」と記し、また11章では、「しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難」があったと記しています。自分のことはいつも控え気味のパウロが、このように数々の難を列挙するのは何かの理由があるに違いありません。無論それは自分の不幸を嘆いたり、コリント教会の人たちの同情を買うためではないのは、言うまでもありません。 では一体何のためなのか。私は、それはキリスト者の苦難にはどういう意味があるのか、苦難と福音とはどういう関係があるのか、すなわち苦難には福音の奥義が隠されているということを示したかったのではないか、そう考えるのです。ローマの信徒への手紙5章3節でパウロは、「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」と記し、苦難と希望とは密接不可分なものだと言っています。なぜ彼は多くの苦難に耐えることができたのか、そして希望とは何であるのか、今日はその問題を考えてみたいと思います。  その問題に入る前に、旧約の預言者は苦難に出会ったときにどう生きたかということを、エレミヤを通して考えてみたいと思います。エレミヤと比較してみると、パウロにおける苦難の意味が割合明確になると思うからです。
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  エレミヤ書15章17─21節は、エレミヤの「告白録」と呼ばれる一節です。預言者の中でエレミヤほど孤独で繊細な人はいないと言われています。自分の内面を赤裸々に告白する、といってもそこには限界があることをだれでも認めざるを得ないでしょう。ローマ帝政時代の思想家プルタークは、人間は誰でも自分の過去に、それをうち明けるよりは、むしろ死を選ぶような事柄を、少なくとも一つは持っているものだ、と言っています。しかしエレミヤにはその言葉は当てはまりません。本当に彼は神の前に真実に生きた人であったからです。17節から読んでみます。
  「わたしは笑い戯れる者と共に座って楽しむことなく/御手に捕らえられ、独りで座っていました。/あなたはわたしを憤りで満たされました。/なぜ、わたしの痛みはやむことなく/わたしの傷は重くて、いえないのですか。/あなたはわたしを裏切り/当てにならない流れのようになられました」。  これは孤独なエレミヤのうめきであり、嘆きであり、叫びです。彼にはもはや自分の苦悩を神に訴え、叫ぶ以外にはありませんでした。しかし、神に対し訴えるにしても、「あなたはわたしを憤りで満たされました」とか「あなたはわたしを裏切り」とまで言うのはよほどのことです。
  その気持ちは痛いほどよく分かります。彼は若き日に、23~4歳のころですが、神に召されて預言者になりました。自分は若者にすぎないからその任ではないと抵抗したのですが、「若者にすぎないと言ってはならない、わたしがあなたを、だれのところに遣わそうとも、行って、わたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて必ず救い出す」と言われたのであります。それは有無を言わせぬ神の派遣でした。彼は一切の割引なしに神の言葉をユダヤの民に伝えなければならない。一方、民の喜ぶことを預言する偽預言者が現れ、エレミヤの預言と真っ向から対立する。民の憤りは収まりません。 今日のテキストの背景を手短にのべますと、旱魃で飢饉に襲われ、民は悲痛な声をあげます。しかし背信(信に背くということ)の民に怒る神はこれを助けません。エレミヤは民のために必死に神に執り成しますが、神は受け入れず、彼の苦しみは極点に達します。
  エレミヤは、自分の苦難の責任はあなたにあるのだ、あなたの言葉を語れと命じられたあなたにあるのだ。あなたの言葉に真実であろうとすればするほど、私の苦しみは増すばかりだ。神よ、どうかこの任から私を解き放ってください、彼は結局そう言っているのです。  ここで思い出されるのは、主イエスのゲツセマネでの祈りです。「アバ、父よ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」という祈りです。エレミヤの叫びも「この杯をわたしから取りのけてください」という祈りに通じています。今彼は神様との関係が切れるかどうかの瀬戸際に立っています。しかし私たちの場合、神様の前で自分をここまでギリギリ問うところまでいかずに、どこかで対話を打ち切ってしまう、それが私たちの現実ではないでしょうか。エレミヤの偉大さは、ここに至ってもなお神の言葉を謙虚に聞いたというところにあります。
  19節以下が神の答えです。原文のニュアンスをよく示すと思われる関根正雄訳でここを読んでみます。 「もし君がたち帰るなら、わたしは君をたち帰らせ、君を再びわたしの前にたたせよう。もし君が卑しい言を捨てて、尊い言を語るなら、君は再びわたしの口とされるであろう。(略)わたしが君とともにあって君を助け、君を救おう」と主は言われる。
 これが神の答えです。神はエレミヤの嘆きに対し、そうか、分かったとは一言も言われません。エレミヤよ、君はわたしのところに立ち帰れ、そのときわたしは君の側に立って助けると言われる。召命のときの約束を再び言われるのです。同時に神はエレミヤ自身の不従順を問題にされる。ここで自分自身の罪に目の覚めた彼はもう一度預言者に立ち帰り、人生最大の危機を乗り越えていったのであります。彼にとって苦難を克服する道は、神があなたを守り助けるという言葉を信じぬくことでした。  彼は年老いてエジプトに連れ去られ、そこで殉教したと伝えられますが、神の「新しい契約」、これはエレミヤ書の31章34節にありますが、「わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪を心に留めることはない」という重要な言葉を彼は神から聞いたのでした。そしてそれは主イエスの十字架の意義を預言する歴史的な意味を持つものとなったのです。
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 エレミヤのことが少し長くなってしまいましたが、ここでパウロに戻り、今日のコリントの信徒への手紙に入ります。
  この4章1節から5章10節までは一つのテーマをなし、使徒の務めにおける苦難、苦難のただ中での救いの完成と、その希望について記しています。 パウロは、7節から12節で使徒の苦難と迫害は、イエスの復活の命を現すためなのだとのべます。まず7節では、わたしたち(使徒)は「土の器」だと言います。「土の器」という言葉は創世記2章7節の「神は土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた」という言葉から来ています。土器は脆く輝きもない。当時富裕な人は、堅くて光沢のある青銅器を好んで求めました。しかし神は「土の器」の中に宝を納めてくださった。その宝とは、6節の「イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光」を指しています。ここでは土器と宝との対比、コントラストが重要な視点です。
  パウロは使徒職を表すしるしとしての栄光についてのべますが、伝道者たる自分の現実を見れば、およそ栄光とはほど遠い存在だということ、苦難と屈辱以外のなにものでもないことを彼は知っています。八節にあるように、苦しめられ、途方に暮れ、虐げられ、打ち倒されそうな局面にいつも遭遇している。自分はコリント教会の人たちからは「世の屑、すべてのものの滓とされている」(コリントⅠ 4・13)。かれらがわたしパウロに求めるものは、しるしと奇跡と雄弁だろう。だから栄光と苦難とは両立しないとかれらは言うだろう。が、それはこの世の論理だ。自分はどんな苦難にあっても、行き詰まらなかった、失望しなかった、見捨てられなかった、滅ぼされなかった。なぜなら、わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっているからだ。それはイエスの復活の命がこの体に現れるためだ(「まとっている」という言葉の原語は「ついて回る」という意味です)。アジア州では死の宣告を受ける思いであったが、それはあの受難と十字架を負われた主イエスの苦しみに継続しているのだ。わたしは主イエスと苦難を共にしている。その自分の苦難においてこそ、イエスの命が現れるのだ、彼はそう確信するのです。  主イエスを見なさい、神は彼の受難と死の中に彼の栄光を現されたではないか。使徒職の栄光も苦難を通して現されなければならない。これはフィリピの信徒への手紙3章10・11節でパウロが「わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したい」と言う言葉につながります。彼は自分の苦難を復活に達する道程としてとらえているのです。これは旧約聖書にはない苦難についての新しい理解だと思います。使徒の苦難の目的は、イエスの復活の命が、地上のパウロの体の苦難と死の中に現れるのだということ、彼の救いは将来約束されている自らの復活において達成されるのだということです。
  パウロはコリントの信徒への手紙Ⅱの12章8節で、主の恵みは自分に対し十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだと主から言われた、と記しています。そうだとすれば、神の栄光は、あの壮大なゴシックの教会堂に現されるものではない。教会はどこまでも「土の器」です。宣教の苦難を担うことによってこそ神の力と栄光は現されるのです。今、代務体制にある私たちの教会には、色々な困難があるでしょう。しかし、困難なときこそ、神の恵みと栄光が現されるのだと信じて歩みたいと思います。
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  16節に「だからわたしたちは落胆しません」と、パウロは4章1節の言葉を繰り返します。「たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新しくされていきます」。この「外なる人」と「内なる人」は、当時このような言葉がヘレニズムの世界で使われたそうですが、パウロは、ギリシャ人が考えたような、体と霊を分けて考える二元論でこれを言っているのではありません。年を重ねて体は衰えていくが、精神は充実していくというような意味でもありません。「外なる人」というのは、滅びる体を持つ古い人間のことです。「内なる人」というのは、キリストの形をとったキリスト者の新しい霊の存在のことです。パウロはガラテヤの信徒への手紙2章20節で「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」と言っていますが、この「わたしの内に生きているキリスト」が「内なる人」です。  17節「わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます」。かれにとっては地上の艱難も本質的には「一時の艱難」に過ぎないのです。この17節はローマの信徒への手紙8章につながっています。少し長いですが、その8章18節から読んでみます。
「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足らないとわたしは思います。(19~21節略)被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。被造物だけでなく、霊の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。わたしたちはこのような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです」。 今日のコリントの信徒への手紙の最後を読みます。
 「わたしたちは、見えるものではなく、目に見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」。  パウロはローマの信徒への手紙8章で、被造物をも含む広がりでこの最後の部分を展開したことがお分かりでしょう。
パウロはフィリピの信徒への手紙3章21節で、「キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです」と言っています。終末においてわたしたちは「体の贖われること」、則ち、神の国の完成のとき、この「卑しい体」が贖われるということです。ヨハネの第一の手紙3章2節は「わたしたちは今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています」と記しています。パウロは終末において、この「卑しい体」を「御子に似た者となる」ように変えてくださることを待ち望んでいたのです。
 パウロが目に見えないものと言うのは、希望の対象です。それは私たちの復活によって与えられる栄光です。パウロはこの希望によって苦難を乗り越えてきたのだと言わなければなりません。
 こうしてみますと、最初に紹介したローマの信徒への手紙の「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」という言葉は、決してギリシア人の好む「知恵の言葉」ではなく、パウロの達した福音的信仰の確信であると言って良いと思います。  パウロはコリントの信徒への手紙Ⅰの13章で、「わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔と合わせて見ることになる。それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る」(12─13節)とのべました。「そのとき」とは神の国が完成されるとき、わたしたちが主イエスと顔と顔とを合わせて見ることができるときです。信仰と希望と愛は、個々別々に切り離されて良いものではなく、一本の鎖でつながれているのです。
現代は情報化時代といわれ、目に見えるものの情報が錯綜しています。しかしこの世は過ぎ去ります。目に見えるものにだけ目を奪われてはなりません。目に見えないものに目を注ぐ、これは今日私たちが聖書から聞くべき大切な言葉であると思います。
ナチスへの抵抗運動で殉教したドイツの神学者デートリッヒ・ボンヘッファーは、処刑台に向かう直前、次のような言葉を残してこの世を去りました。
「私にとって、これがいよいよ最後です。しかしまたこれは始まりです。私たちの勝利は確実です」。
  彼の勝利の力は、一本の鎖で堅くつながれた、信仰と希望と愛であると私は信じています。

(信濃町教会2007年4月22日説教)

 
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