神の前で人間とは何者か、人間は実際に何を行っているか、そのことを真剣に考えた時、何が分かるか、今日の聖書箇所はこのようなことを問うている。
3章の1節以下では、「ユダヤ人の優れた点は…あらゆる面
からいろいろ指摘できる」と肯定的に評価されていたが、今日の聖書箇所では、そうではなく、非常に否定的な記述である。そして非常に厳しい指摘がなされていると言える。「正しい者はいない。一人もいない」とある。「一人ぐらいはいるのではないか」と問いたい気持ちである。「だれもかれも役に立たない者となった」(12節)とも言っている。「沢山の人の中には、一人くらい役に立つ立派な人がいるのではないか」と思う。
しかしパウロがここで言っていることは、そういう多い少ない、役に立つ、立たないの問題ではない。「神の前では、ユダヤ人もギリシャ人も皆、罪の下にあるのです」、このことが言いたいのである。
パウロも、そしてイエスもユダヤ人である。この民が最も大切にする「律法」については小さい時から良く知っており、その世界で成長した。パウロが今日の聖書箇所で展開している考えの、それまでのユダヤ教と最も異なる点は、すべての人間が「罪の下にある」と見ていることである。「下にある」ということは、それに「支配されている」ということである。それは、一人や二人、あるいは例外もあるということではなく、ユダヤ人もギリシャ人も、つまりすべての人間が罪の下にある。それはこの世が罪の支配の下にあることである。この世は邪悪、つまり罪が支配している。
ところで、ユダヤ人が最も大切にしており、そこに希望を見いだしていた「律法(トーラー)」であるが、パウロは、罪を認識させる機能を持つに過ぎない、決して希望でも救いでもないという。律法には確かに素晴らしい面
がある。そこには神の戒めが書かれており、確かに人間が生きて行く上の「道しるべ」ともなっている。詩編では「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯(ともしび)」(119篇105節)と告白されている。
しかしすでに学んだように(2章21~23節)、パウロは次のように激しく語るのである……律法で「盗むな、姦淫するな」と教えられ、人にもそう教えておきながら、自分自身は、盗みもし、姦淫もしているではないか。自分でその掟(戒め)を破っているようなものがどうして希望となり、救いとなるのか。「あなたは律法を誇りとしながら、律法を破って神を侮っている」……
このこと一つ見ても、律法の限界が良く分かる。もう一度「人間とは何か」に戻り、聖書(つまり、今のわたしたちの旧約)にどう書いてあるかを見てみたいとパウロは言う。詩編とイザヤ書を引用しながら、パウロは、自分が今言ったことを論証するのである。彼は、人間が神に背を向けていること、人間の行いが悪に満ちていることを論証するのである。
10~18節の言葉を考えて見たい。まず11節「悟る者もなく、神を探し求める者もない」。自分のかしこさ、知恵を誇る人は多いが、究極的な意味で神を知る人はいないということである。他にいかなる知識を持っていても、神の認識を内にもたないならば、人間全体がむなしい存在であることになる。いったい自分が神の前でどういう存在であるかを知らない人の行動は、どうなるだろうか。結局その人は、他人をさげすみ、自分だけを愛し、自分の利益だけを追求する人間になってしまう。13節「かれらののどは開いた墓のようであり、彼らは舌で人を欺き、その唇には蝮の毒がある」。ヤコブの手紙3章5~9節には、こうある。「どんなに小さな火でも大きい森を燃やしてしまう。舌は火です」。小さいが大きな悪を働くのである。16節「その道には破壊と悲惨がある」。「悪の道」は、すべてを荒廃させ、破壊させ、破滅させてしまう。地は荒涼となる。
結局18節で言われているように、「彼らの目には神への畏れがない」のである。神を畏れないことは、「人間の堕落の根源」である。「神に義とされる」、神に受け入れていただくために、わたしの側でしなければならない最も重要なことは、「神への畏れ」を持つことである。すべてはこれに尽きる。しかし、ユダヤ人もギリシャ人も、人間はすべて「神への畏れ」を欠いている。
さてパウロは、19節、20節でもう一度、「律法」の問題に触れるのである。律法は一体何であるか。その効用から言えば、律法には、民に対する神の約束と裁きの両方があった。しかし一九節では「裁き」だけしか触れられていない。結局律法は、それを与えられた民への約束・希望とはなり得なかったのである。これがパウロの結論である。
このことはパウロが言い出したのではない。イエスが既に律法を解釈した時、律法によって当時生きていた人たちに対して語った批判も非常に鋭いものであった。「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる」(マタイによる福音書23章25~26節)。パウロにせよ、イエスにせよ、ユダヤ人と律法に対する批判は非常に厳しいと言える。それは、先にものべたように、彼ら自身がユダヤ教の環境の中で育ち、その特色を良く知っていたからである。
最後にパウロはもう一度総括するように律法について触れている。20節「なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前に義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです」。パウロは、このように律法の実行(業)と律法の役割について肯定的ではなく、否定的に語らざるを得なかったのである。
最後の審判、神の裁きにおいて人は、神の戒めを守ったかどうか、証明しなければならない。しかし、それは人には不可能である。何故なら律法を「完全に」守ることは出来ず、神の裁きの前に良しとされる人はいないからである。パウロがこれまでも述べ、これから本格的に語るように、律法によっては義とされず(神に善しとされず)、律法によっては罪を克服することはできない。むしろ罪が明らかになるばかりである。「律法による罪の自覚」、この言葉の背後にパウロの罪との戦いがある。律法に熱心なユダヤ教徒の時代がそれである。律法は、人間に罪が何であるかを示し、人間が罪の下にあることを経験させる。そして、パウロの言う通
りである。「律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったでしょう」(7章7節)。
確かに律法はすべての人に罪を自覚させる。そして、罪の自覚は救いへの道備えである。罪の自覚(認識)なくして、信仰はない。また救いもない。しかし律法は決して、救いとはならない。律法は「古い道への最後の一歩であり、新しい道への最初の一歩ではない」と言った人があるが、わたしは、この言葉が良く当たっていると思う。律法は、決して、「さあ、もう一度思いを新たにして、初めからやって見よう」という気持ちをわたしたちに与えないのである。何故なら、「また同じ過ちに陥る」との絶望感に支配されるからである。確かに、律法は、それ自体としては、われわれに義の規範を与える点において、感謝して受け取るべきものである。
しかし、こと「救い」という、それによって本当にわたしは「生きて行く」ことができるのかどうかの問題になった場合、律法は、わたしたちにとって「祝福」とはならない。むしろ、イエスの律法学者やファリサイ派の人々への批判から理解できるように、われわれが「邪悪と腐敗」の固まりであることを暴露するのである。ファリサイ派の人間が主張していた、自らの功績によって神の前に義とされること自体、自己中心的な努力に基づいているのである。パウロの議論は、律法学者たち、自分を正しいと思っている人に向けられていた。律法には、それを実行することによって当人を誇らしめる働きがある。福音書の「ファリサイ派の人と徴税人の譬え」(ルカによる福音書18章9節以下)が示している通
りである。
わたしたちが、今日の聖書箇所から結論的に聞くことが赦されることは、「神の義」、つまり神がわたしたちを善しとし、受け入れて下さるのは、わたしたちの行いによって得られるものではないということである。そうではなく神の恵みの賜物、つまり信仰において与えられる。その場合の信仰とは、律法の業に基づく敬虔な自己追求とは根本的に対立する態度である。
しかし、具体的にそれはどういうことなのだろうか。それは、わたしたちが、自分自身の姿、人間の姿を正視し、事実を事実として認め、語ることである。そして、根本的には、「われわれが自分の罪を知ること自身がキリストの恩寵である」と言わねばならない。聖霊による導きなくして、わたしたちは、自分の醜い現実を、素直に認めることはできない。
しかし、同時に、自分の醜い現実を素直に認めることができ、そこでキリストの十字架による「罪の赦し」を信じる時、「罪の自覚」は決して否定的なものとして留まらないことを多くの先達が証している。パウロ自身がそうであった。パウロは、神の恵み、キリストの恩寵の光の下で、人間を見つめ、そして人間の罪の現実を直視することを最も深めたところで、主イエスのあわれみを最も深く知り、それを讃えることができた。それが彼の「伝道の力」になったのである。
罪の問題は、一人一人に関係する。従って、その本質に関することは、他人に言われて理解できるものではない。各人が、神と真実に向かい合い、自分が何者であるかを知らされ、知らされたそういう自分が神の恵み、赦しによって生かされていることを信じることが出来る時、大きな力となって神を賛美し、感謝し、それを他の人に伝える人へと変えられて行くのである。
10月、この秋、わたしたち一人一人が、神の前で、自らの罪を自覚し、「伝道への力」を与えられる者でありたい。
(2005年10月2日礼拝)
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